手放しその3
半年後に、もともと専門職であった貿易業界に転職しました。
源泉徴収票の発行をお願いしたところ、「同じ最寄駅ならたまには遊びにいらっしゃい」と言ってくださいました。
送られてきた源泉徴収票はしらいしさんが発行したのでしょう。
手紙もなく、ワープロ打ちされた宛先で、書類がぴらっと入っているだけでした。
どんだけ私のことを嫌いだったのでしょうね。最終日は家で祝杯をあげていたのかも(ビール好き)。
現職で、「ハラスメント防止研修」というのが必須でありました。
顧と問弁護士さんが説明してくださるWeb会議でした。
レジュメに書いてあることが、全部当てはまっていた。
労働基準監督署に言えばよかったのですが、私には生活があります。
障害者でも独り暮らしですので、生活があります。
食うためには、そんなところで争っているひまはなかった。
現職が4年目に入りました。
仕事ができないどころか、新人さんに仕事を教える立場になりました。
今の私をみたら、しらいしさんはどう思うだろう。
手放しその2
山のように積まれたパンフレットは台車に乗せても動きませんでした。
もともと私はそんなに体力のあるほうではありません。
ゴミ置き場は、車の往来が激しい狭い道の、しかも坂道でした。
一個ずつでも、意外と紙は重たいもので、台車から降ろしても、とても運べるものではありませんでした。
通りすがりの人が助けてくれたこともあります。
私はPCのパスワードは上司には教えなければならないものと、当時は思っていました。
しかししらいしさんは私のパスワードを濫用して、私のメールを見ていました。
途中から部長が変わりました。私を雇ってくださった方です。
私は現在もですが、「受け皿」がありません。
その上司に「どなたを頼ればいいですか?」というメールが
プリントアウトされていました。
そこには「どんだけ自分のことしか考えていないんだ」としらいしさんのメモがありました。よっぽど
私はシュレッダーを頼まれたときに、そのプリントアウトを見つけてしまったのです。
しらいしさんに「これなんですか?」と問いただしました。
「私はあなた仕事ができないから嫌いなの」
こんなにあからさまに言われたことは初めてです。
9か月を過ぎて、部長さんに「次の更新はない」旨言われました。
新しい部長さんは私のことをかばってくださいました。
最終日に「申し訳ないけど、次の職場でも頑張ってくださいね」と菓子折りをいただき、エレベーターでお見送りしてくださいました。
しらいしさんは最終日には有休をとられていました。
手放し
私は5年前、モラハラに遭いました。
5年前のことを今更・・・と言う方もいらっしゃるかと思います。
私は障害者です。
好きで障害者になったわけではないのですが、仕事にありつけずにあえて「障害者雇用」という道を選択しました。
N旅行OMCトラベルというところに最初就職しました。
障害者雇用ということがオープンにされていました。
配属は人事でした。
上司は年下の課長さん:しらいしつぐみさん(本籍香川県)
人事部課長といえば、会社の窓口である存在です。
おてもやんチークで、指にはごちゃごちゃしたネイルアート。
私が書類を仕分けていましたら、
「わーはやいはやい」
「人事部なので常に掃除をお願いね」
雇用契約は、最初の3か月は気が抜けません。
どうしても評価が気になってしまいます。
雇用3か月を過ぎて6か月後
「私たち忙しいのであなたに仕事を教えているひまがないの。週4日に勤務変更してくれない」
契約が1か月更新になりました。
友人には「刻んでくるね」と言われましたが、「1か月更新」というのは、「いつでも切れるように」というのが前提としてあります。ほかにも1か月更新にされている人がいましたが・・・
週4日勤務になると、定期券が使えません。
毎週回数券での交通費申請となりました(回数券だと1枚お得だからというのが理由)
私の仕事はシュレッダーと掃除と、廃棄パンフレットをゴミ置き場に運ぶことでした。
台車に廃棄パンフレットを山のように積まれました。